駅前からほど近い商店街、様々な店が軒を連ねる通りに寄り添うように植えられた街路樹も青々とした葉を茂らせ、本格的な夏を迎える準備は万全、といった感じだ。そんな木々たちの様子に応えるかのように、この時期にしては少々強い陽射しと熱気が街全体を包み込んでいる。
外回りの会社員や学校帰りの学生達の中には上着を脱いで、手で首元を扇いでいる者も居る。
街の人々が行き交う商店街の一角に立つ小さな雑居ビル、その中に小さなオフィスを構える「鑑探偵事務所」も例外なく迫る熱気に当てられているはず、だったのだが――
「『鑑探偵事務所』というのはこちらで間違いないかしら?」
「…………はい、そうですけど」
唐突に鳴らされたインターホンに反応して紗季が戸口に出ると、一人の女性がピリピリした様子で立っていた。
少し気の強そうな感じがするけど、とても華やかで綺麗な女性だ。年はわたしと同じくらいだろうか?
普段あまり会うことの無いタイプの人間を目にしてしまったので、一瞬、変な間が空いてしまい、それを取り繕うように応対する。
「えーっと……どのような御用でしょうか?」
「依頼をしに来たのよ。ここは探偵事務所なんでしょう? ここならどんな依頼でも受けてくれるって聞いたから訪ねてきたのだけど?」
ちょっと怒ったようなトーンで女性が答える。
ピリピリした感じの依頼者も時々訪れるが、わたしは未だにこの手の依頼者に慣れない。
こちらに向けられている視線から目を逸らすように、今日の事務所のスケジュールを確認する。
「少々お待ち下さい……この後の予定は特に無し、ね。どうぞ、お入り下さい」
「…………」
不機嫌そうな表情で、女性は押し黙ったまま紗季に案内され事務所の中に入っていく。
「探偵さーん、依頼をお願いしたいという方がいらっしゃいましたよ?」
「んー……手紙なら後で目を通しておくから、そこに置いておいてくれたまえ。今すごく良いところなんだよ!」
テレビで再放送されている一昔前のアクション映画を食い入るように観ながら探偵さんが答える。
「いや、お手紙じゃなくてお客様です。依頼者の方がお見えになりましたよー」
「あっ、危ない! おぉっ、良く避けた! 良いぞ! んー……書留なら紗季ちゃんが代わりにサインしておいてくれ」
「…………」
元々不機嫌そうだった女性の表情がさらに険しくなる。
「依頼者が来てますってば、探偵さん! 呑気に映画なんて観てる場合じゃないですよ!!」
「へっ!? 依頼者!? 何でもっと早く言ってくれないんだ!?」
「さっきから何回も言ってるじゃないですか!! とにかく、ちゃんとお仕事してください!」
慌てふためく二人のやり取りを切り裂くように、女性が低く冷たい声で告げる。
「初めまして、鑑さん。私の依頼、受けてくれるかしら?」
「あは、ははは……」
「…………この人はホントにもう……」
外の熱気が嘘のように冷たい空気が紗季達の周りには流れていた。
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「えーっと……櫻井瑛理香さん、でしたね? 依頼はどういった内容か教えていただけますか?」
探偵さんが気まずそうな感じの笑みを浮かべながら尋ねる。
「身辺調査よ。ある人のことを調べて欲しいの」
「ほぅ……身辺調査ですか。それで、調べて欲しい人物とは?」
櫻井さんの依頼に探偵さんが早速食いつく。この人は変わってたり、派手な感じだったり、いかにも“探偵が解決するような事件”が好きだからこの反応はすごく納得がいく。
きっと、“身辺調査”っていう単語がいかにもそれっぽい感じだから積極的に食いついたんだろうなぁ。
紗季がそんなことを思っていると、瑛理香が一枚の写真と数枚の書類をテーブルの上に置いた。
写真には瑛理香と一緒に青年が一人写っていた。見た目はいかにも好青年という感じで爽やかな印象を受ける。
二人とも笑顔で、瑛理香が青年に腕組みした状態で撮られている。仲の良いカップルみたいだ。
「彼の身辺調査をお願いしたいの」
「宮永真人さん、か……ふむふむ……」
書類を手に取り、探偵さんが内容に目を通し始める。
わたしもそれを横から覗き込むような形で目を通していく。
「あっ、櫻井さんと宮永さんってわたしと同じ大学なんだ? 学部は違うけど、学年は一緒なんですね」
「そう……」
櫻井さんはわたしの話に興味無さそうに答えた。
次にわたしは写真の方へ目を移す。
「この人って、やっぱり瑛理香さんの彼氏さんなんですか?」
「……えぇ、そうよ。小さい頃からの付き合いなの」
わたしの質問に瑛理香がちょっと赤くなって答える。
あれ? 何かさっきまでと反応が全然違う……?
さっきはちょっと冷たくて気の強そうな感じがしたけど、今の彼女は優しい表情でとても可愛らしい。
「私たちは小さい頃から家族ぐるみの付き合いもあって、大学生になった今も一緒に居るのが当然だったわ。私は彼のことを愛しているし、彼も私を愛してくれているわ。そう、そのはずよ。そうじゃないなんてあり得ないわ――」
「櫻井さん、それで今回はどうして彼の調査を?」
「――真人が私以外の誰かになんて……そんな事はあってはならないわ。だから、アレはきっと違うのよ、うん……」
「あのー、櫻井さん? 僕の話、聞こえてます……?」
ブツブツと独り言を呟いていた櫻井さんがこちらの様子に気づいてハッとする。
この人、好きな相手の事になると自分の世界に入っちゃうタイプの人なのかな……
気持ちは何となく理解できるような気もするけど、こういう風になっちゃうのはちょっと感情が行き過ぎてて怖いなぁ。
「あぁ、ごめんなさい。彼の調査をお願いする理由、でしたわね?
その写真を見ても分かるように、私たち二人は互いを想い合っていて、彼も私もそれぞれの心の中は互いの存在だけのはずなの」
億面もなく瑛理香が言い放つ。
「今までずっとそうだった。お互いの誕生日の時もバレンタインの時も夏祭りの時やクリスマスの時だって私たちはお互いの事だけ見ていたわ。
でもね、最近彼の様子が何だかおかしいの。私からも距離を取ってるみたいだし、『私と一緒に居ない時に別な誰かと会ってるみたいだよ』って同じ学部のお友達からも聞いてるわ。
だから、彼がどこに行って、一体誰と、何の目的で会ってるかを調べて欲しいのよ」
「櫻井さんが自分で聞いたりはしなかったんですか?」
わたしは櫻井さんに素朴な疑問を口にする。
「そんなこと出来るわけないじゃない!? 私が彼のことを疑ってるなんて思われたら終わりよ! そんなのあってはならないわ!」
「うー……そうですね、ゴメンナサイ……」
地雷を踏んづけちゃったみたい……迂闊だったわ。
「はぁ……謎の人物の調査だと思ったら、結局はただの浮気調査か。ガッカリだ、僕の名推理を披露するチャンスが……興が削がれた……」
「こっちはこっちで何かダメージ受けてるし……」
すっかり辟易した感じになってしまったけど、櫻井さんのご実家がかなりのお金持ちらしく、その後に掲示された報酬はこの手の依頼にしては破格な金額だったので、わたしたちはこの依頼を受けることになった。
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調査期間は二週間ほど設けられる事になり、その間、探偵さんは宮永さんを密かに尾行したり、張り込みを、わたしは自由に動ける時間に学内で宮永さんや櫻井さんに関する情報を集める形になった。
そして、大学での講義が終わった後や休日にはわたしも探偵さんに同行して宮永さんの身辺調査のお手伝いをすることになった。
「うーん、確かに櫻井さんを避けている節はあるみたいだけど、それ以外は怪しい動きは特に無さそうだが……?」
ブラウンのチェック柄のスーツに山高帽とつけヒゲ、そしてビンの底みたいな分厚いまん丸メガネを着けた探偵さんがつけヒゲを片手で撫でながら呟く。
怪しいのはあなたの方なんじゃないですかね、探偵さん? しかも相手に正体を知られていないから、そもそも変装する必要は無いのでは……?
うーん……ツッコんだところでしょうもない返答が返ってきそうだから、指摘するのはやめておこう。
調査開始から三日ほど経ったが、探偵さんの言う通り、宮永さんに不自然な動きは無かった。
このまま特に何も無ければ「特に怪しい点は見当たらず、櫻井さんの思い過ごしだと思われます」というような旨を報告するだけだ。
そう思っていたけれど、その日の午後に差し掛かったところで動きがあった。
尾行を続けていると、宮永さんが同じくらいの歳の女の子と二人で街中を歩いていた。
「おっ? アレを見てくれ紗季ちゃん。宮永さんが何やら女の子と一緒に居るぞ。これはもしや……」
「ホントだ。一緒に居るのはわたしと同じ大学の子なのかな、多分? 何だか楽しそうに話してますね……」
背格好や雰囲気が心なしか櫻井さんと似ているような気もする。
宮永さんってああいう感じの人が好きなのかな? でも、浮気しそうな人だとも思えないんだよねぇ?
大学で色んな人から聞いた話だと性格も良くて成績も優秀、友人や親族からの信頼も厚いとか。
宮永さんに向けられている疑念に思案しつつ、目線を宮永さん達の方へ持っていく。
宮永さんと女の子はかなり親しげな感じで何やら話しているが、わたし達のところからは遠すぎて何を話しているかは分からない。
「おっ、建物の中に入って行くぞ。ここは……何のお店だ?」
「えーっと、いわゆるファンシーショップですね。地元の女子高生とかがよく行きます」
「ふむふむ、まぁ何でもいい。後を追うぞ、ワトソン君!」
探偵さんがお店に突入しようと駆け出す。
「ストップ、探偵さん!!」
「うおっとっと……!? 一体何だね!?」
探偵さんがズッコケそうになって止まる。
「そんな格好であのお店に入ったら一発で怪しまれますよ! ただでさえ男の人が居ると目立つお店なんだから……
ここはわたしが一人で行ってくるので、探偵さんはお店の外で待機してて下さい。あと、わたしはワトソン君じゃないです」
探偵さんは依頼が始まってからずっと、尾行の時は前述のような格好をしている。
指摘してやめるような人じゃないので我慢してるけど、正直、一緒に歩いてると結構目立つので恥ずかしい。
「うーむ……悔しいがワトソン君の言う通りだ。仕方ない、ほら、早く行ってきたまえ。せっかくの手柄が逃げてしまうぞ?」
「だから、わたしはワトソン君じゃないですってば!! あぁ、もう……誰のせいでこうなったと…………とりあえず、行ってきます!!」
お店の中で商品を選ぶフリをしながら、宮永さん達の会話を聞いていたけど、品物を手に取ったりしながら他愛もない話をしているだけだった。
お店から出てきた時に宮永さんがお店で買った商品を「今日はありがとう」と言って女の子に手渡していたけど、浮気をしていた証拠としては弱い。
それから二日後、また動きがあった。
宮永さんが今度は別な女の子と仲良さそうに街を歩いていた。
今回の女の子も前と同じく櫻井さんと同じような雰囲気、背格好の子だった。
「おっ、今回もお店に入っていくな……」
「今回は……洋服とかアクセサリー関係のお店ですね。ここも地元の子からは人気のお店ですよ」
「よし、早速突入だ。今回は僕の変装もOKを頂いてるから問題無いな? では行くぞ、ワトソン君!!」
前回のファンシーショップの一件があったので、探偵さんの格好はギリギリ許容範囲かな、と思われるものにしてある。変装に関する説得にはかなり骨が折れた。
何ていうか、改めて思う。疲れる人だ、この人は……
「だから、わたしはワトソン君じゃないです!!」
言いながら、わたしはお店に向かって駆け出す探偵さんについて行く。
お店に入ると案の定、ほとんどが女性客ばかりで、男性客は宮永さんのように女性を連れ添っている人しか居ない。宮永さん達は店の奥の方で洋服を選んでるみたいで、一緒に居る女の子とあれこれ試着も試しながら「これはどうか?」「あれも良いんじゃないか?」などと楽しそうに話している。
わたし達が話の内容をじっくり聞こうと近くによって行くと、宮永さんがこちらの方を凝視してきた。
もしかして、尾行しているのが気付かれた……?
探偵さんが控えめにはしたもののちょっと変わった格好だから?…………いや、ひょっとして、わたしの方を覚えてた!?
宮永さんが試着室に入っている連れの女の子に「ちょっと、ゴメン」と声を掛けてからわたしの方へ向かってくる。
このままじゃマズい――
「紗季ちゃん、コレなんてどうかな? スゴく似合うと思うんだけど?」
「えっ?」
わざとらしく宮永さんにも聞こえるくらいの声で言いながら、近くに掛けてあった洋服を探偵さんが手渡してくる。さらに探偵さんが敢えて宮永さんの方に視線を向けると、ジロジロ見ているのを気にしていると思われたからか、宮永さんは焦ったように一緒に居た女の子の方へ戻っていった。
「僕に適当に会話を合わせて。紗季ちゃんはこのままあの子の隣の試着室に向かうんだ。あそこなら何を話してるか良く聞こえる。彼はこちらを多少怪しんでいるだろうけど、さっきの様子を見る限り詰め寄って来たりはしないはずだ」
「……わかりました。あの、探偵さん、ごめんなさい。あと少しでバレちゃうところでした……」
「気にしない気にしない。それになかなかスリリングで楽しかったじゃないか? さあ、彼の警戒が弱くなってる内に行ってしまおう」
探偵さんから渡された洋服を持って試着室へ向かう。
そこからは探偵さんが持ってくる服を次々と試着しながら、意識は隣の方へ向けていた。
宮永さんも少しの間はこっちを気にしていたようだが、ただの一般客だと安心したのか会話のトーンも元の状態に戻っていた。
会話の内容に集中してみるが「良く似合ってる」とか「プレゼントにはピッタリだね」とかそんな内容しか出てこない。
「おっ、彼らはもう行くみたいだな。僕は先にお店の外で待ってるから、紗季ちゃんも着替えが済んだら出ておいで」
試着室のカーテン越しに告げると探偵さんは宮永さん達を見失わないように先に外へと向かっていく。
「お待たせしました。あの服、着るのも脱ぐのも手間取っちゃって――」
「あぁ、大丈夫大丈夫。彼らならあそこに居るよ」
探偵さんが指さした方向を見る。
商店街の広場だ。そこは中央に大きな噴水があって、宮永さんと女の子はその脇にあるベンチに座って飲み物を飲んでいた。
彼らから死角になる位置からしばらくの間、密かに様子を伺っていると宮永さんと女の子はここで別れるようで、宮永さんは別れ際、前回と同じように「今日はありがとう」と言って先ほど買った洋服を女の子に手渡して帰っていった。
「洋服をプレゼントするのって結構親しくないと普通はしないと思うんですけど、どうなんでしょうね?」
「ヒントは多くないけど僕は分かった気がするよ。あとは答えを確実なものにする為にちょっと確かめることもあるかな」
「確かめること?」
まぁ、大したことじゃないけどね――と言って不敵な笑みを浮かべながら鑑は事務所へと踵を返す。
*************************
二週間の調査期間を終え、報告を聞くために櫻井さんが再び事務所にやってきた。
結局、この二週間の間で宮永さんが街中へ出かけたのは5回。そのどれもがそれぞれ別な女の子と一緒にお店巡りをしていた。わたしが見る限り、宮永さんが別な子と付き合っている可能性は否定できない。
探偵さんは櫻井さんにどのように報告するかは何故か教えてくれなかったので、わたしも結果報告が気になるところだ。
「それで、結果はどうでした? 彼はやっぱり……?」
不安そうな表情で櫻井さんが尋ねてくる。
「素行調査の結果ですが、彼が櫻井さん以外の人と密かにお付き合いしている可能性はかなり低いでしょう。
我々が密かに尾行していた時に数回、女の子と一緒に買い物をしている場面に遭遇しましたが特に特別なお付き合いをしているようには見えませんでした」
「私以外の女の子と一緒に……鑑さんはそう言ってもやっぱり怪しいわ……」
「気になるのはわかりますけど、あなたがこの事に関して彼に問い詰めるのは、僕はやめておいた方が良いと思いますよ?」
探偵さんが淡白な声色で櫻井さんにそう告げる。
「どうして!? 何も無いなら聞いてみても良いんじゃないの!?」
「落ち着いて下さい、櫻井さん! でも、探偵さんもどうしてそんな……?」
興奮して席を立とうとした櫻井さんの肩を抱きながら、わたしも探偵さんに尋ねる。
「僕は“何も無い”とは言ってませんよ。それにあなたがそう言うだろうとも思って、既に良いプランも考えてあるんです」
「プランって何なんですか、探偵さん?」
そんな計画があるなんて話はわたしも聞いていない。
「それは今ここでは言えません。でも、それに従ってくれれば必ず良い結果になる事は保証しますよ?」
「あなたのプランに乗れば本当に良い結果になるの……?」
「えぇ、間違いなく」
「……わかった」
ちょっと憔悴したような様子だったけど、櫻井さんは探偵さんの提案を承諾する事にしたようだ。
では、ここに書かれている日時・場所に我々が迎えに行くので、予定を空けておいて下さい――そう言って、探偵さんは櫻井さんにメモを手渡した。
櫻井さんが帰った後、探偵さんは事務所のソファに寝転がった。
「ふー……こっちはオッケーっと。さて、ある意味ここからが本番か。さっきのプランだけど紗季ちゃんは聞きたいかい?」
含みを持たせたような言い方でニヤニヤしながら探偵さんが聞いてくる。
わたしの答えはもちろん――
*************************
調査が終わってから少し経った某日、わたしは櫻井さんと一緒に広場の噴水の前に来ていた。
この日のわたしの役目は櫻井さんを迎えに行って、この時間にここまで連れてくる、というシンプルなものだった。特に話す話題も無いまま噴水の流れる音だけがわたしと彼女の間に流れていた。
「それで、あなた達に言われた通りここまで来たけど、何もないじゃない? これから何があるっていうの?」
櫻井さんが事務所を最初に訪れた時と同じく、少し不機嫌な様子で尋ねてくる。
「あと少し待ってて下さい。そろそろのはずです――」
わたしは手元の時計で時間を確認する。
「あっ、来ましたよ、櫻井さん」
わたしがそう言って指さした方向に櫻井さんも目を向ける。
探偵さんと宮永さんがこっちにやって来る。
二人はわたし達に向き合うように並んで経つと、お互いの相方に軽く手を振って挨拶をする。
「真人……どうしてその人と一緒に?」
驚きと疑念が混ざり合った複雑な面持ちで櫻井さんが尋ねる。
「それは僕からではなく、鑑さんがこの後に説明してくれるよ。それよりも今日は何の日か分かるかい、瑛理香?」
「今日……? 私や真人の誕生日ではないし……クリスマスやバレンタインでもない……」
答えが出ない櫻井さんに宮永さんが助け舟を出す。
「瑛理香……どうして、わざわざこの場所、この時間に僕が君を呼び出したと思う?」
「この場所、この時間……? あっ、そうか、分かったわ! 今日は私が真人と初めて――」
用意された舞台の意味に気づいた櫻井さんの言葉の先を宮永さんが続ける。
「そう、僕達が正式に付き合う事を誓って、初めて二人でデートした日だよ。覚えてくれていて良かった」
宮永さんが櫻井さんに微笑みかける。
あっ……この前会っていた女の子達に見せた笑顔とは違う。
本当に櫻井さんの事を想ってるんだなぁ、宮永さん。
「それでね、二人の記念日だから瑛理香にプレゼントがあるんだ。はい、これ……受け取ってくれるかな?」
宮永さんが綺麗にラッピングされた包みを櫻井さんに差し出す。
櫻井さんは宮永さんが用意してくれたサプライズに感激して言葉も出ないような状態だったけど、涙まじりの笑顔で差し出された贈り物を受け取った。
その時を見計らって、探偵さんが広場の周囲に呼びかける。
「みなさん、お願いします!」
唐突に告げられた合図とともに、探偵さんやわたしをはじめ、噴水の周りにいた人々が一斉にクラッカーを取り出して撃ち放った。
鳴り響く音と歓声の中から「おめでとう、お二人さん!」やら「良い物見れたわね~」やら「面白かったー!」など様々な声が聞こえる。
ひとしきり騒ぎも落ち着き、集まっていた人々も雑踏の中へ消えていった後、探偵さんが今回の一件の裏側を説明し始める。
「今さら僕の口から言うような事でも無いけれど、今日は櫻井さん達お二人の記念すべき日ということで、このようなプランを用意させてもらいました」
うやうやしくお辞儀をする探偵さんに二人が感謝の意を述べる。
そんなやり取りを見ながら、わたしは疑問に思っていたところを聞いてみる。
「それは分かるんですけど、探偵さんはいつからその事に気づいていたんですか?」
「最初に雑貨屋さんに寄っていた時には分からなかったね。特に変わった点があったとは思えなかったし、正直、浮気の線も無くはないかなと思っていたよ。
では、紗季ちゃんはあの時一緒に居た女の子を見てどう思った? 何か気になる部分とかは無かったかな?」
「うーん、そうですね……特に変わったところは無かったと思いますけど、強いて言うなら雰囲気や背格好が櫻井さんに似ていた気がします」
「じゃあ、二回目はどうだった? 三回目以降は?」
「あっ、言われてみると最初の時もその後も雰囲気や背格好が櫻井さんのような女の子ばかりでしたね……」
「その通り。宮永さんは櫻井さんに密かに洋服や靴なんかをプレゼントしようと思っていたわけだけど、吟味するために本人を連れて行くわけにはいかなかったから、似たような容姿の子に買い物に付き合ってもらってたわけだね」
わたし達のやり取りを聞きながら宮永さんが気まずそうな感じで苦笑いを浮かべる。
櫻井さんがちょっと疑うような視線を向けると、宮永さんは「大丈夫。彼女たちは大学の友達で決して瑛理香が疑っていたような関係ではないから」と宥める。
「行き先も食事とかには行かずに女性向けの商品を取り扱うお店ばかりだったし、デートコースにしては妙な感じだったっていうのもある。
あとはね、女の子達との会話の中で『プレゼントにはピッタリだね』とか話してた事があっただろう? 仮にその子とデートしてるんだったらこれはちょっと変だ。今、目の前に居る相手とは明らかに異なる誰かへのプレゼントとして話しているわけだからね」
探偵さんがさらに続けて理由を述べていく。
「なるほど……じゃあ、最後に品物を手渡していたのは報酬、みたいな感じだったわけですか?」
「そうだね。それで、回数を追っても全てこのパターンだったから、いよいよ確定かなと思って、最後の尾行の後、僕は直接宮永さんに会いに行ってみた」
「“ちょっと確かめること”っていうのはこの事だったんですね」
「うん。二度目の時に思い浮かんではいたけれど、あの時はまだ確信が得られなかったから、もう少し様子を見る必要があったんだけどね」
言いながら、探偵さんが肩をちょっとすくめる。
「宮永さんに直接当たって事情が分かってからは結構スムーズに事が運んだよ。商店街の人たちにお祝いの手伝いを取り付けるのも快く引き受けてもらえたしね。
これも一重に僕の探偵としての人望の厚さが成せる技かな。ハハハハハッ!」
大げさに高笑いをする探偵さん。最後の余計なのが無ければ無難に決まっていたでしょうに……
それはともかくとして、依頼も無事に達成、櫻井さんと宮永さんも満足してくれたみたいで本当に良かった。
種明かしも終わって櫻井さん達と別れた後、わたし達も事務所へと戻る。
戻ってから報告書を簡単にまとめる作業を終え、帰り支度を始めたわたしを探偵さんが引き止めた。
「あっ、そうそう……紗季ちゃん、これこれ、今回の報酬のオマケだよ」
「…………?」
胸元に抱えてちょうど収まるくらいの包みを手渡された。何だろう?
「ここで開けてみても良いですか?」
「どうぞ。僕は別に構わないよ」
包みを解いて中身を取り出す。
「あっ、このワンピース、あの時の……」
尾行してた時に試着したうちの一着だった。探偵さん、いつのまに……?
「いくつか試してみた中で一番似合ってたからね。紗季ちゃんも気に入ってたみたいだし。
ちなみ購入費は今回の依頼者に伝えた諸経費の中に含めてるけど内緒だよ? まぁ、尾行がバレそうな場面もあって危なかったし、このくらいは頂いても良いだろう?」
おどけたポーズで探偵さんがいたずらっぽく笑う。
「悪い人ですね、探偵さんは……では、ありがたく頂戴させてもらいます」
わたしも子供みたいに笑い返す。
「あれ? でも、今思うと探偵さん、わたしの服のサイズ、よく分かりましたね? 一度も言った事とか無いと思うんですけど……」
「えっ!? いやー、それはだね……探偵が持つ鋭い洞察力とかそういうアレがー……」
「むー、怪しい……何で知ってるんですか? ちゃんと理由を教えてもらいますからね!! 言い分によっては――」
夕暮れの商店街。日中の暑さを洗い流すように涼しげな風が通りを吹き抜けていく。
沈んでゆく夕日を背に、ひんやりとする屋外とは対照的に鑑探偵事務所の中はこれから熱気に包まれそうな様相を呈していた。
305開発部ログ
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凄く良くまとまってますね…! 毎度思いますが文章の構成?がハンパないなぁ凄い。内容もごくごく普通なのにちゃんとオチもあって読みやすい。
内容にしても文章にしても、「読みやすさ」については正直もうどこに出しても恥ずかしくないレベルだと思います。というか私ではこれ以上の指摘添削はできませぬ。あとは「面白さ」を追求していったら良いのではないでしょうか? 個人的にミステリーは造詣が深くないので何ともいえませんが、もっと「あってもおかしくはないけど絶対予想できないような(複合的な)事件」とかの方が受けそう?
「面白さ」の追求か……文章以外にも言えることだろうけど、何かを書き続けていく上での最重要課題の一つだよね。
今回はほんのりミステリーな感じだったけど、毛糸氏の指摘通り、面白い作品を求めていくなら、もっと複合的で予測困難な内容を詰めていく必要がありますな。今後はその辺りにも意識を配りつつ精進せねば。