灰色の空が太陽を隠し、表通りのアスファルトには早朝から降り続く雨で大きな水溜りができている。
外に吹く風もいくらか冷たくなって、吐く息にもわずかに白いものが混ざり始めてきた。
雨の日を嫌う人も結構多いけど、わたしはそんなに嫌いじゃない。
普段見ている風景も雨が降ることでまた違った印象を与えてくれる。
明るい日差しの中で見る鮮やかな紅葉とは違う、瑞々しく濡れる紅葉も落ち着いた雰囲気がして綺麗だ。
もちろん、目に映る情景だけではなく、雨の日だからこそ感じられる空気というものもある。
例えば、図書館の落ち着いた空気なんかは雨の日の方がいっそう強く感じられると思う。
無音の環境ではなく、外の雨の音が微かに聞こえてくると、静寂な空間が際立って感じ取れるから不思議なものだ。
事務所の窓ガラスを伝う雨をぼんやりと見つめながら、わたしはデスクでそんな物思いに耽っていた。
「ん……? ここはこうか? いや、違うか……?」
窓の外を眺めているわたしの背後でソファーに座りながら探偵さんが何やら悪戦苦闘している。
「えーと、こっちの面がこうなってるんだから…………とりあえず、これで良いんだよな?」
その手元には色とりどりに彩られた立方体――ようするにルービックキューブが握られていた。
「そんなに難しいんですか、それ?」
ソファーの前のテーブルに無造作に投げ出された、ルービックキューブの攻略法が書かれた本を手に取ってパラパラと捲りながら探偵さんに聞いてみる。
「うん、なかなか難しいよ、これ。事務所の備品を整理してたらその中から出てきてね、色がバラバラだったから何とか揃えてやろうと思ったわけだが……」
そう言ってわたしに見せるように上げられた探偵さんの右手には中途半端に色の揃った六面体が握られていた。
「わざわざこんな本まで買って来て解こうとするなんて……探偵さん、こういうのにもなかなかこだわる性格なんですね」
「んー、まあね。そういえば、こういうのは慧悟が得意だったんだよな。アイツはセオリーやパターンの覚えが良いヤツだから」
なるほど、それを思い出して対抗意識が芽生えたわけだな、この人。
ルービックキューブの向こうに見える対戦相手を見据えるように、探偵さんは再びガチャガチャとキューブを弄り始める。
これはかなり長期戦になりそうな予感。
「探偵さん、そろそろちょっと休憩にしませんか? あんまり根を詰めてやっても上手く行かないことってありますし」
なかなか諦めきれない様子の探偵さんだったけど、少し悩んだ後、気持ちの切り替えをする事に決めたみたいだ。
「うーん……それもそうか。よし、休憩にしよう!」
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部屋全体にふんわりとした甘い香りが満ちている。今日は寒い日、という事から紗季はホットココアをチョイスした。
「前回までは『読み手の感情移入の傾向』や『遊びの文章を活用した登場人物の個性の出し方』について話してきたね。今回はちょっと視点を変えて『物語の世界観と登場人物の関係』について見ていこうと思う」
鑑がソファーから立ち上がり、壁際に置いてあるホワイトボードを持ってきてペンで何かを描き始める。
「例えばだけど、『事務所への道すがら、目の前に動物園から逃げ出したライオンが現れた』とする。さて、紗季ちゃんならどうする?」
「そりゃあ、全力で逃げますよ!…………実際に遭遇したら腰抜けちゃって逃げれないかもしれないですけど」
結びの辺りでちょっと口ごもりながら答える。
「うんうん、僕も全力で逃げる、あるいは逃げる方法を考えるだろうね。それが“現代社会に住む人間”なら実に普通の選択肢だと思う」
腕組みをして頷き、鑑がホワイトボードに新たに図を描き足す。
「では、この状況に“剣と魔法が活躍するような世界の住人”が遭遇したらどうすると思う?」
「えっ? う~ん……剣とか魔法が出てくるような世界ならソレでライオンを倒してしまいそうですね」
苦笑混じりに紗季の口からはそんな答えが出てきた。
「ははは、だろうね。僕もそう思うよ。それで、これが今回のメインテーマの『物語の世界観と登場人物の関係』なんだ」
「ふむふむ……」
鑑がホワイトボードの前でルービックキューブを手に取り、それを弄りつつ解説をスタートした。
「物語を創る時は舞台となる世界観の設定をするわけだけど、紗季ちゃんも知っての通り、物語の舞台っていうのは本当に色々なものがある」
「さっきの例え話みたいにファンタジーだったり、SFだったりですね?」
「うん。それ以外にも沢山、それこそ考える人の数だけあると言っても良いかもしれないくらいね。
今回話したいのは『物語の舞台によって登場人物を取り巻く世界が異なり、行動原理や常識、感覚などがそれに伴って異なる』っていうことさ。
中世ファンタジーのような世界観だと炎を吐くドラゴンなんか出てきたりするだろう? 僕らだったら未知の危険な生物との遭遇になるわけだけど、その世界の住人だと危険な事に変わりはないけど既知の生物な可能性が高かったりするわけだね。場合によっては登場人物が退治してしまう、なんてこともあり得る。
SF世界で例を挙げてみると、現代の科学ではおおよそ考えられないようなテクノロジーがよく出てきたりするけど、登場人物はいちいち驚いたりはしないだろう。彼らにとっては日常的なものなわけだからね」
「なんだか、わたし達の日常と昔の人達の日常の関係みたいですね。江戸時代の人が現代の日本に来たらスゴく驚くでしょうね」
紗季が小さく笑いながらティースプーンでココアをくるくるとかき混ぜる。
「良い所に気付いたね。実は過去の歴史を舞台にした物語考える場合もSFもの等と似たような考え方が出来るんだ。まぁ、実際の歴史を取り扱う分、細かい部分で間違いがないように注意しなければいけないんだけどね」
「確かに。もしも平安時代に鉛筆が出てきたりしたらおかしいですもんね、例えばの話ですけど」
「そういうパラレルものを設定、あるいは想定して意図的に書いたなら、まだ何とか行けなくもないんだけどね。そういう設定にしたとしてもそれはそれで考えるのも大変だと思う。
今回のテーマに関する要点はざっとこんな感じかな。登場人物の設定をしっかりさせるためにも世界観の設定は細かく考えていく必要があるってことだね。こいつと同じ用にさっ!」
話し終えた鑑の手には綺麗に六面が揃えられたルービックキューブが握られていた。
「あっ、いつの間に揃えてたんですか? ていうか、話ながらよくできましたね」
「正直、自分でもちょっと驚いてる。論理的な思考で僕の灰色の脳細胞が活性化したということか……」
鑑が真面目な顔で考えている脇で紗季は再び窓の外に目を移す。
あと数日経てばハロウィン・パーティーの日がやってくる。
このルービックキューブのようにしっかりと着実に準備を進めて行って、綺麗に整えられた当日を迎えたい。
淀んだ空模様とは対照に紗季の心の中には新たに暖かな光が差し込んできていた。
305開発部ログ
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やっぱ小説よく読んでるだけあって、正統派の小説っていう文章ですよねー。落ち着いて読める。あげく空気感がなんかあるんですよね。すごいわ。
俺は、今回ちょい真面目に書いてみましたが、やりたいことやって満足するだけで、なんというか、書きたいところ以外のところはまだるっこしいというか、正直めんどくさいと感じてしまったんですよねw 状況描写とか。
冬は再びフリーダムにやらせていただきますw
たぶんギャグもので。