都市部から少し離れたところに位置する商店街。そこから歩いて15分ほどの場所に地域の人々が利用する市民公園がある。
園内に立ち並ぶ木々も鮮やかな緑へとすっかり衣替えを終えて、これからやって来る夏の季節への準備を済ませている。
公園を利用する人達のために綺麗に整備された歩道を行き交う人々も、公園の草花に合わせるように夏の装いへと変わっていた。
「……この街に拠点を構えて結構経つけど、ここは変わらないな」
探偵事務所がある商店街はこの地域では特に人の集まる地域なので、人や物の出入りも激しく、ひとたび外に出ると慌ただしい空気が毎日のように漂っている。
『人の集まるところに事件あり。それを鮮やかに解決する事が探偵の本分』――そんな言葉と期待を胸に手頃な物件を探して意気込んでいた頃が何だか懐かしい。
新たな環境での滑り出しは決して順調とは言えなかった。依頼の全然入らない月もあったし、地味で大変な割に
報酬の少ない依頼を受けた事も何度かあった。
そんな中で色々な“ちょっと変わった事件”を通して少しづつ知名度も上がったが、正直言って現在も安定しているとは言えないだろう。
ただ、それでも今も事件に対する姿勢はあの頃と変わってはいない。
これからも大変な事が数多く待ち受けているだろうけど、この気持ちが無くならない限り、きっと乗り越えられるはず。
歩道の脇に置かれた木製のベンチに腰掛けて、鑑は道行く人を眺めながらぼんやりとそんな事を考えていた。
公園のベンチに腰を下ろしてのんびりしてから15分ほど、シャツのポケットに入れていた携帯が震える。
「紗季ちゃんからか。そろそろ事務所に行かないとな…………おや?」
『にゃお~』
気づくと足元に子猫が1匹、擦り寄ってきていた。
しゃがんで頭を撫でてみると、子猫は喉を鳴らしながら気持ち良さそうに目を細めた。
「君も休憩タイムだったのかな? 悪いが僕はこれから仕事でね。お先に失礼させてもらうよ。
君の家族にもよろしく言っておいてくれ」
冗談混じりでそんな風に言ってポンポンと子猫の頭を軽く叩くと、鑑は立ち上がってその場を後にする。
しかし、歩き始めてすぐに気配を感じて立ち止まり、振り返る。
少し後ろの方からさっきの子猫がぎこちない足取りでこちらに向かって来ている。
「…………」
前に向き直り、再びゆっくりと歩を進める。
5メートルほど進んでから再び立ち止まり、複雑な表情を浮かべながら振り返る。
やっぱりか……、という表情の彼の視線は自然と自らの足元へと向いていた。
「参ったな…………もしかして君、帰るところが無いのか?」
『にゃ?』
小首を傾げて子猫が鑑を大きな瞳で見つめる。
「どうやら当たり、か。うーん、どうしたもんか……」
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「――えー……というわけで、置き去りにするのも何だか良心的にアレなので連れてきてしまったわけなんだが……」
「わぁ~、小さい! 可愛い! 肉球すごいプニプニしてる~!!」
「…………」
事情を説明している鑑が完全に無視されている。さっきから紗季はずっとこんな調子だ。
どうも興味を引くものがあると周りが目に入らなくなるタイプなのかもなぁ、と鑑はちょっと紗季の将来が心配になった。
二人と1匹しか居ない事務所の中で完全に空気扱いされて心が折れそうだったが、気を取り直して鑑が続ける。
「……その子猫をどうするかは後で考えるとして、今日のお題に行っても良いかな?」
「えっ? あっ、はい、どうぞご自由に。ねぇ、ネコちゃん、探偵さんが何かお話してくれるんだって! 良かったね~♪」
『にゃ~?』
紗季が子猫を抱えて、優しく撫でながらすごく幸せそうにしている。
「くっ……!? 冷静になれ、鑑彰仁……! 『名探偵は如何なる状況でもクレバーかつスマートに』だ……!」
無駄にしなやかな動きでいつも通り鑑が窓際からホワイトボードを引っ張りだしてくる。
「今日は『モデルを設定したキャラ創りとバリエーション』について解説しようと思う――って……おーい、紗季ちゃーん、聞いてくれてる?」
「お腹コチョコチョするとプルプルする~!…………あっ、すいません。えーと、モデルを設定したキャラ創りですね、はい」
「良かった、テレビのCM辺りよりはマシな扱いみたいで……。えーと、この前は『ステレオタイプのキャラクターの注意点』に触れていたわけだけど、今回はステレオタイプが秘めている可能性についてお話ししようと思う」
「前回は『ありきたりなキャラクターと物語になりやすい』とかそういう注意についてのお話でしたよね?」
「そうだね。確かにステレオタイプなキャラクターはそういう要素も抱えているんだけど、同時に『多くのキャラクターを生み出す練習にも繋がる』っていう話を今回はしていくよ」
ホワイトボードに前回説明した項目をサラサラと簡潔に書き出していく。
「さて、具体的なキャラクター創作の手法だけど、本日のテーマに挙げたモデルを設定したキャラクター創りがひとつの有効な手法なわけで、仮にステレオタイプになったとしてもしっかりとした個性を持つ人物を書き上げることができる。モデルにするのは実在する有名人でも良いし、映画作品やアニメ、小説に出てくる人物なんかでも良い」
「実在する有名人だと俳優さんとかスポーツ選手とかですかね?」
「うん。オリンピックのメダリストなんかは性格や発言が変わってて独特な人も多いからキャラクター化しやすいね。あと、ハリウッド映画に出てる俳優なんかも良い。映画のジャンルごとに色んな俳優さんがいるわけだけど、同じジャンルでも色々なタイプの主人公とかが居るわけで、それを頭の中で配役替えして考えてみるだけでも結構良い練習になるよ。アクション映画とかだとやりやすいかもね」
「あぁ、確かにアクション映画でも、派手に暴れるタイプの主人公も居れば、静かに目標を遂行するタイプの主人公も居ますね。
物語の主人公を演じる人を変えるだけでも大きくイメージが変わるって事ですよね?」
「そうそう、そんな感じにやってくれればバッチリだね。他のジャンルでももちろん使えるから、普段から色々考えて試してみると良いよ。
『この人が〇〇の主人公なら~』とか『あのスポーツ選手が××の世界に出演したなら~』とか。数をこなすことで色んなタイプのキャラを生み出せるようにもなるからね」
さて、次にもうひとつ――そう言いながら、鑑がホワイトボードをひっくり返す。
再びペンを走らせて二つ目のテーマを書き出すと続きを話し始める。
「本日の二つ目のテーマ、『キャラクターのバリエーションについて』だ」
「わたしは小説を書いた事がないのであんまり分からないですけど、キャラクターのバリエーションは多ければ多いほど良いんじゃないんですか?」
「うん。頭の中にある分にはね。ストックをたくさん持っておくのは良いことだけど、ズバリ注意すべきは『作品中で動かす数』だね。
バリエーション豊富だと色々と登場させたくなるものだけど、これを全て管理していくのは正直かなり難しい。だから、作品の種類や設定によってどれぐらいの数が必要になるか考えていくことが重要だね」
「作品の種類や設定によって考える、ですか……。具体的にはどんな感じに考えれば良いんでしょうか?」
「必要に応じてキャラクターを用意していく形がやりやすいかな。作品の種類に関しては、例えばだけど、恋愛系なら際立ったキャラが4~5人くらい、密室殺人とかのミステリーなら個性的なのが最低限3人ほど居ればおそらく足りるだろうね。逆に歴史ものとか戦争ものはかなりたくさんの人物が必要になってくるかな。しかも、それぞれの人物を立たせなきゃいけないから、このジャンルはなかなか大変かもしれないね」
「なるほど。そのためにもキャラクターのストックを作ったり練習の機会を増やしていくのが大切、ってことなんですね」
「そういうこと。名前とか外見、性格を考えていくのは大変だけど、魅力的な作品創りには必要不可欠だからね」
ペンのキャップを閉めると鑑は事務所のデスクに腰を下ろす。話を聞き終えた紗季は内容を反芻しながら膝に置いた子猫を抱き上げて、顔を向き合わせる。
「名前……名前は絶対必要よね、うん。ねぇ、探偵さん……この子の名前、何が良いと思います?」
「うん? そうだな、この探偵事務所の雰囲気に合うようにエレガントでスマートな名前が良いだろう!――って、ちょっと待って紗季ちゃん! まさかここで飼う気かい!?」
「えっ、当たり前じゃないですか? 探偵さん、そのつもりで連れてきたんでしょ?」
「ねー?」なんて件の子猫に言いながら、紗季が鑑に問いかける。
「え……? いやー、どうしても離れないもんだから連れては来たけど、飼うかどうかはそのー……」
「この子、首輪もしてないし、探偵さんの話だと親猫も居ないみたいじゃないですか? まさか、こんな小さい子を独りぼっちで公園に置いてくるつもりじゃないですよね?」
「いや、えーっと……猫の世話って結構大変らしいし、このビルの中ってペット飼って良かったかどうか――」
「探・偵・さん?」
「うっ……えーっと、そのー……とりあえず前向きに検討してみます、ハイ……」
『何が言いたいか分かりますよね?』というような紗季の迫力に押される鑑。話の渦中にある子猫は紗季の腕の中で素知らぬ顔といった感じだ。
もうじき本格的な夏がやって来る。ジリジリと強まる暑さで滲み出るものとは別な汗が吹き出しそうな、ある日の探偵であった。
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