昨晩から降り続いていた雨は朝方に止み、地面に出来た水溜まりが雲の広がるきれいな青空を映し出している。
事務所の窓から、歩道の脇に植えられた街路樹の葉にわずかに残った雨粒が陽の光を受けてキラキラと輝いているのが見える。
外から感じられる暖かな春の陽気に誘われるように窓を開けると、紗季はゆっくりと伸びをしながら息を吸い込んだ。
「う~ん、暖かくて気持ちいい。春のぽかぽか陽気は良いですね~」
外の景色を見ながらしみじみとそう言った紗季に、ソファーに寝転がっている影が同じくしみじみとした調子で答える。
「そうだねぇ。しかし、こう穏やかだと何も事件が起きなさそうで、僕としてはちょっと退屈かな?」
「ふふふ、探偵さんが言うと何だか妙にしっくり来ますね。でも、平和が一番ですよ、やっぱり」
窓の外からは通りを行き交う車の音や人々の話し声が聞こえてくる。
穏やかな天気のせいか、道行く人達の雰囲気もどことなく平和な感じがするから不思議だ。
「あっ、春といえば花見の時期もだんだん近づいてきてるんですね。今年はみんなでお花見行けるかな?」
「そういえば、紗季ちゃんは去年そんな事も話してたね。近々、ハロウィン・パーティーの時に御一緒した商店街のみんなにも聞いてみようか?」
「良いですね、誘っちゃいましょう♪ 遥にはわたしから声掛けておきます」
今から楽しみですね、などと話していると、鑑が再びしみじみとした表情になる。そして、何か思いついたかのように――
「花見でふと思い出したんだけどさ、『狂い咲きの桜の下には死体が埋まってる』って言うよね?
狂い咲きじゃなくても死体が埋まってくれてればいいのに。そうすればきっと僕の元にも事件解決の依頼が……」
紗季が窓枠にガクッと肘をついた。
「ぽかぽか陽気の平和な日になんてこと言うんですか! せっかくこのコラムにもピッタリのほのぼのした空気だったのに!」
「あぁ、すまない。僕に流れる探偵の血が平和な空気をどうも好まなくてね…………ん? 『このコラム』って一体どういう――」
「あー! 何でもないです! それよりもそろそろお茶の時間にしませんか!? 探偵さんも疲れてきたでしょう!」
鑑の疑問を遮るように紗季が慌てた様子で提案する。
「えっ……? え~と、僕は特に何もしてなかったし、まだ休憩は取らなくても――」
「いいえ! 自分でも気付かないだけで、とっても、とっても、疲れてるんですよ! 探偵さん!」
「あっ……そ、そうなのか?……わかったよ、休憩にしようか」
普段の雰囲気とは全く異なる紗季の迫力に圧倒され、困惑気味の鑑は休憩に入ることを承諾する。
「探偵さんは飲み物何にします? いつも通りコーヒーで良いですか? 良いですよねっ!」
一方的に会話を進めると、紗季は鑑の返事も聞かない内に足早にキッチンの奥に引っ込んでしまった。
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「おや? 今日のコーヒー、何だかちょっと甘い香りがするね?」
鑑の指摘の通り、コーヒーの独特な深みを持つ香りに混じって、ふんわりと甘い香りも漂っている。
「今日は普通のお砂糖の代わりにシナモンシュガーを使ってみました。穏やかな日の雰囲気にピッタリでしょ?」
ちょっと得意気な様子の紗季を見て、鑑が腑に落ちた表情になる。
「さて、良い香りで気持ちもリラックスしてきたし、今日もいつもの話の続きを始めようかな」
鑑がYシャツの襟元を片手で少し緩め、コーヒーを一口飲んでから、いつものトーンで話し始めた。
「今日は……そうだね、『専門知識や得意分野を生かした登場人物創り』について話そう」
「専門知識や得意分野ですか。いつもより具体的なテーマみたいですね?」
「今回はわりとそんな感じになるかな。紗季ちゃんは以前、小説をそれなりに読む方だって言ってたよね?」
「はい。電車の移動中とかにちょこちょこ読んだりします」
膝の上に両手で包み込むようにマグカップを持ったまま紗季が答える。
「オーケー。では、最近読んだ小説にちょっと変わった職業の人物が出てくるような作品はあったかな?」
紗季がカップを持つ手の指をパタパタと動かしながらちょっと考える。
「え~と……主人公が心理学者の男性だった作品がありましたね。ある不可解な殺人事件の捜査に協力するうちに大きな事件に巻き込まれていき、最後には持ち前の知識で犯人を追い詰めて事件を解決――っていうお話でしたね」
「なかなかスリリングで面白そうな話だね。そして、紗季ちゃんが挙げてくれたような作品がまさにそうなんだけど、『専門的な知識を直接生かした作品にしたい時は、主人公をその道のプロフェッショナルにする』これが専門知識や得意分野を生かした登場人物創りの基本的な手法のひとつになる」
「医療関係の話ならお医者さん、料理がテーマの話ならシェフ、スポーツならアスリートに、みたいな具合ですね?」
「そうそう、そんな感じで間違いないよ。ただ、この手法は注意しなければならない点もあって、まず『ステレオタイプなキャラクターになりやすい』って事が挙げられる。
実際の社会をイメージしてみてもそうだと思うけど、職業毎に主として存在する要素がある程度決まってるから、その要素から逸脱したものにはなりにくい。
それと、『この職業に就いている人はこういったタイプが多い』っていうイメージが僕達の中に存在することもステレオタイプなキャラクターになりやすい要因かな」
「確かに、その職業のイメージから大きく外れる人物は考えにくいですね」
「うん。あと、もちろん『書き手にもその方面の知識が要求される』っていう点もあるね。
その仕事を経験した人じゃないと知らないような知識とかがそれに当たる」
「う~ん……専門的な知識が豊富で、尚且つステレオタイプにならないように――っていうのは両立が大変なんですね」
短い溜息と共に紗季の眉間に小さくシワが寄る。
「別にステレオタイプな人物じゃ作品の魅力を出せないってわけでもないんだけどね。でも、両立が難しいのはご指摘の通りさ。そこで、ステレオタイプのキャラクターを主人公にした場合の注意点を挙げておくよ」
鑑がソファーの脇にあるホワイトボードにサラサラとペンを走らせて行く。
「ステレオタイプのキャラクターを主人公にしようとした場合、その主人公の設定に注意するのは先に述べた通りなんだけど、さらに注意すべき事は『他のキャラクターの設定』の方なんだ。具体的には主人公のライバルやヒロインの設定だね。
例えば、ライバルキャラについて考えてみるけど、主人公がステレオタイプなら、正反対のタイプのキャラにしたくなる人も結構多いと思う。でも、そうした場合、その後の展開が読みやすくなって面白みに欠ける作品になってしまいがちなんだ。だから、主人公がステレオタイプな場合はライバルはなるべく同系統のタイプにした方が良い。そうした方が読者が展開を予想しにくくなるからね」
「同系統のタイプの人物だけど、ある問題に対して出した答えは違うっていう事は現実でも結構ありますね」
「うん。どちらも答えにも一理ある、みたいな感じだとそれぞれの人物に厚みが出てさらに良くなるね。
次にヒロインについて。こちらも安直なキャラクターを出さないように心掛けるのが大事だね。
例を挙げると「純情可憐」とか「控えめで行動的でない」などが避けたい要素として挙がるかな。
前者は『展開が予想できてしまう』、後者は『話にメリハリをつけにくく、ストーリーが良く動かない』のが大きな理由さ」
「確かに、ステレオタイプな主人公な上に他の主要キャラがこれだと、見ていて面白みが無さそう」
挙げられた例で想像してみて紗季が苦笑いをする。
「そう、だからね――」
そう結んで、鑑が手に持ったペンをボードの上で滑らせる。
「大事なのは『いかにして主人公を引き立てていくか』ってことなのさ。さーて、そろそろ本日のお仕事に戻ろうか?」
キュッと乾いた音を立ててペンのキャップを閉めると、鑑は残り少なくなったコーヒーを飲み干しソファーから立ち上がる。
シナモンの香りの余韻を楽しむように紗季もゆっくりと立ち上がり、再び伸びをする。
太陽もそろそろ真上を通り過ぎる時間となり、一層強さを増した陽気が事務所の窓から降り注いでいた。
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