第03話 『空に捧げる古びた夢』
ひび割れたコンクリートの道。
最近この身体を得てからずっと歩いてきた土の道と比べると、何か物足りない気がする。 その感覚はこうやって自分で実際に歩いてみて初めて感じられるものだった。
僕はもっと人間の立場になって感じ、考えるべきだったのかも知れない。 そうしていれば何かが変わっていたのだろうか。
……今それを考えても、これからの”何か”は変わりはしないのかも知れないけど。
モノ「歩きづらいから気をつけて、ラザ」
既に僕の知る世界とは変わってしまった世界。 その現実を突きつけるかのようにコンクリートはひび割れ、そこから僕の背丈ほどもある植物が空を目指してそびえ立っている。
そしてその空さえもが僕を拒絶して暗く蠢いている。
「もう結構歩いたと思うけど、あとどのくらい?」
モノ「分からない。あいつはずっと姿を隠していたから、どこにいるのか正確な位置までは」
「そう……」
人間が居なくなった人間の街。 捨てられた場所。
捨てられた……地球。
モノ「あ、あそこ」
モノがある高層ビルの屋上を指差した。 僕にはほとんど何も見えない。
モノ「行こう」
ギギ…ギィ…
鈍い音がして屋上への最後の扉が開く。 随分長い間使っていなかったらしく、僕とモノの二人でなんとか開けることができた。
???「ッ! ……だ、誰…?」
扉を抜けると小さくて弱々しい声が聞こえてきた。 見ると大きな貯水タンクの裏から誰かがこちらをうかがっている。
モノ「私はモノ。こっちはラザ。お前は、レア……だよな?」
モノは少しいぶかしげにその人物の方を見ている。
「モノ、どうしたの?」
モノ「いや、少し変わってるから」
「?」
レア「確かに、僕がレアだけど……」
そう言うとその人物は貯水タンクの裏から恐る恐る顔を出した。 レアというらしいその少女の姿が明らかになると、僕は息をのんだ。
自信なさげな縮こまった動きとは裏腹に、彼女の長い黒髪は柔らかに風に揺れる。 真っ白なワンピースがそれを謙虚に引き立て、彼女は周りの空間から守られていた。 その美しさも上品さも、この廃墟の街には全くそぐわない。 何故こんな少女がここにいるのかという疑問さえも受け付けないように、彼女はそこに確かに存在していた。
モノ「あいつは『何者にも成れない恐怖』 “夢” レア。……だと本人も言ってる」
「モノ、さっきからどうしたの?」
モノ「いや……少し……変わってるから」
モノは言葉を選んで少し言い淀んだ。
レア「お、驚きました? 誰かは分かりませんけど、昔の僕を知っているんですよね…?」
モノ「あ、あぁ……お前は……その……」
レア「構いませんよ。僕だっておかしいと思ってるんです。男の僕がこんな格好をしてるのは」
「お、男!?」
え……男…? この子が…?
モノ「だよな。おかしいと思ったんだ私も!」
「ちょ……モノ!」
レア「ですよね……おかしいんですよね……。僕なんかは誰にも見られないようにずっと隠れているべきだったんです……。こんな空の見える場所に出てきてしまって申し訳ありません……」
モノ「? 何で隠れるべきなんだ?」
「もう! モノはちょっとだけ黙ってて!」
「ねえ、レア、そんなこと言わないで…? 僕、君のことについて知りたいんだ。ちょっと話をしない?」
レア「え、僕なんかのことでよければ……」
モノ「ラザ、もう喋っていい?」
「うん……」
僕は大きく一つため息をついた。
モノ「こいつはまだラザが居た時、昔の地球の最後の時代に最も多くの人間を殺した。もちろんその時代にはこうやって一つの人格として存在はしていなかったけど。ラザも知ってるはず」
“夢”……
そう、あの時代、人間を最も殺したのは肉食動物でもなく、天災でもなく、同じ人間の敵でさえなかった。 それは『自分自身』。
「そっか、何かに成りたい気持ち……」
レア「お恥ずかしい限りですが、その通りです……。でもそれももう昔のことで……今は僕こそが”何者でもない”存在なんです」
モノ「お前、昔は男らしくてもっとシャキッとしてただろ。そんな髪とか格好じゃなかった」
レア「あああ!! それはもう忘れてください…!! 僕がバカだったんです!!」
レアはそう言って頭を抱えこんだ。
「一体どうしたの? よければ地球が”こう”なってから、どうなったの教えてくれない?」
レア「……僕は天狗になっていたんです。最も多くの人間を殺して、僕こそが最強の存在である、と……」
モノ「なるほど、でもお前がこの新しい地球で殺した人間は『ゼロ』だ」
レア「そうなんです! 僕なんかは最もどうでもいい存在だったんです…! 明日の命も分からないという不安な世界の中で、僕が人間に与えられる影響は全くありませんでした。僕はいらない存在だったんです……」
レアはそうぶちまけた。 彼女……いや、彼の表情は痛々しかった。
「でも僕がレアのこと、なんだか凄く素敵だなって思ったのは本当だよ。僕にとっては君はいらない子なんかじゃない」
レア「……ありがとう。そう言ってもらえるだけで嬉しいです。たとえお世辞でも……」
今のレアにはこうやって受け止めるのが精一杯なのだろうと思う。 だから僕はそれ以上は何も言わなかった。
モノ「でも何で女の格好になったんだ?」
「そ、それは……」
聞いてもいいのだろうか……
レア「よく分かりません。でもこれはこうで正しいと思うんです。今の僕はこうなんです」
レアは自分の姿を見つめながら、ゆっくりとそう言った。 その言葉には先ほどまでのような自信の無さは感じられなかった。 これが本来の彼の姿なのかもしれない。 ……いや、見た目の話じゃなくて。
モノ「ふうん。まあいいや。ラザ、もう行こう」
モノは身体を出口の方向へ向けながらそう言った。 手をこちらに差し出して。
「え? もう?」
レア「もう行っちゃうんですか? 折角ですから……いや、やっぱり僕なんかのために時間を使ってもらうのは……」
「もうちょっと居てもいいんじゃない?」
モノ「……ラザはずっとここに居たいの?」
モノは僕に真剣な目を向けた。 別にずっととは言ってないけど……。 でもモノはきっと僕がここで「うん」と言えば、ずっとここに居てくれるだろう。 きっとそのつもりだ。だから僕はやっぱりこう答える。
「いや、やっぱりもう行こう」
モノ「じゃあ、行こう」
モノはきっと僕のことを一番に考えている。 これは自意識過剰なんかじゃなくて、嫌でも分かることだ。
レア「あ、お元気で……よろしかったらまた、寄ってくださいね」
レアが僕らに笑顔を向ける。
「うん、また絶対来るよ」
僕はモノに手を引かれながらそう別れの言葉を告げた。 別れは寂しい。あの暗い闇と同じだ。
もっと長い時間レアと一緒に居れば、この寂しさは増したに違いない。 やっぱりモノの中心にはいつも僕が居る。
カンッカンッ…
気のせいか階段を降りるモノの歩調は荒かった。
モノ「ラザはああいうのが好みなんだ。男なのに……男なのに……」
「え……」
でも実際には、僕がモノの周りを回っているのかも知れない。 それも悪くはないけど。
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