記事っぽい記事を書くのが1月以来(!?)の毛糸です
どんな感じで文章書いてたか忘れた……
今回は創作において大切な「面白いかどうか」よりもっと大切な「創作への敬意」のお話をさせていただきたい
言われなくても大丈夫な人が大半だと思いますが短くまとめるだけなので再確認程度にでも
創作とは自由なものであるべきだと思う。こうあるべきという形をなるべく決めず、自分がどのような創作をしたいのか、という疑問を常に持ち続けることに意義があると思うので。また自由であることによって多種多様な人間が自分なりに世界を理解し、受け入れていくためのツール足りえるからでもあると思う。
でも「自由」とは「何をしてもいい」という意味ではない。創作本来の目的ではないが創作というものを使って「したくなる」ことがいくつかあって、それをしてしまうことが創作への侮辱であり、人間への侮辱でもある。
1、実在の他人の主観を述べる
他人を完全に理解することはできない。だから実在の人物を登場させる場合には実際に行った「行為」とその動機と思われる「事実」しか表現してはいけない。特に「善悪」や「幸福感」など価値観の根本となる部分は絶対に触れてはいけない。
例:特定の場面を見て「地獄かと思った」などと言わせる
もしその人物がその場面を地獄と思わない人物だった場合、その人物の根本の価値観を誤解させて広めることになる。その人物への侮辱。
他人を理解するという行為を難しいとも思わない。人間への侮辱。
2、絶対的な悪を存在させる
当たり前のこと。侵略や虐殺、戦争などにも全て理由があり、人間の本質を理解する手がかりとなるもの。それを「絶対的な悪」として書くことは人間の本質を理解することをやめること。しかもそれを見ている人間に押し付けることに繋がる。いわゆるプロパガンダというやつ。
例:戦争を起こしたやつらは全員ならず者で、必ず全てを破滅させる、という前提で表現する
戦争は避けねばならないが、では戦争を起こした人間は避ける努力を怠った者達なのかといえばそれは分からない。
もし自分以上に戦争を避ける努力をしていたとしたら、とんでもない侮辱。
しかもその戦争によって今の自分が幸福であれるという可能性もある。世界という複雑なものに対する侮辱。
3、誰の信条か分からないように表現する
自分の言いたいことは「自分の言いたいこと」として消費者に伝わらなくてはならない。印象操作や刷り込みのような形で作品の中に信条を混ぜ込んだり、実在の他人の信条の中に自分の信条を混ぜて誰のものか分からなくしたりしてはいけない。それがたとえ迷いや悩みであっても、自信を持って表現できることだけを表現するべき。
例:実在の人物に自分の意見を言わせる
消費者にとっては誰の意見か分からない。自分の意見を堂々と主張する全ての人に対する侮辱。
上記のような事項を行ってしまうと創作者としてイエローカードが出されると思って間違いない。特に上記の三点を同時に犯してしまい、さらに面白くもないような作品を作ってしまうとレッドカードで退場、または何度目かの正直としての引退を余儀なくされるらしい。
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