「来週の分まで出しておくので、特に症状に変化が無ければまた来て下さい」
医療器具や様々な薬品の入っている薬瓶が整然と並べられたデスクの椅子に腰を掛けた男性が、手元のカルテにペンを走らせながら目の前に座る女性に落ち着いた声で告げる。
男性の年の頃は二十代の後半くらいだろうか。長身痩躯で銀縁の眼鏡をかけている。羽織った白衣も様になっていて、いかにも“医者”といった感じだ。
橙色のランプの灯りが柔らかく室内を照らしている。
どうやら、ここは大きな病院ではなく彼が個人で開業している医院のようだ。
患者の女性に少し待っているように言うと、奥に続いた部屋の戸棚から薬包をいくつか袋に入れて、彼は彼女にそれを手渡した。
「本当に助かるわ。ここは大きな街だけどウォルター先生のような腕の良い町医者は居なくて……。
それにこの地区では大きな病院で診てもらうほどのお金を持っている人も居ないから……」
これからもこの地区の人達のこと、よろしくお願いします――そう言って女性は一礼すると、彼の病院を足早に去っていく。彼は少しずつ小さくなっていく背中に「お大事に」と短く呟くと空を見上げた。空は厚く雲がかかって灰色に染まり、黄昏時の街を暗く覆い隠している。
「さて……今日の患者さんは彼女で最後のはずだけど? 急患かな?」
医院の入口の脇にある小さな茂みに人影がひとつ。
入口の扉にはランプが掛かっているが、茂みの方までは明かりが届かず、彼の立っている場所からでははっきりと姿が確認できない。
彼が声をかけると、隠れるように待っていた人影がこちらに歩み寄ってきた。
「噂通りの良い腕をしていますね。まさに医者の鑑です」
声の主は若い女性のようだが、修道士のようなローブを身に纏って、フードを目深に被っているせいか表情はいまいち伺えない。
「それで、私に何か用でしょうか? 見たところ、診療目的でもなさそうですが……?」
「そうでしたね、早速本題に入りましょう。実は先生に“看て頂きたいお客さん”が居ましてね?」
ローブの女性の含みを持たせるような言い回しの言葉を聞くと、彼の瞳が一瞬スッと鋭くなった。
「ふむ……では、詳しい話を伺いましょうか。中へどうぞ」
女性を中に招き入れると、彼は入口のランプの灯りを消して扉にしっかりと鍵を掛けた。
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「それで、今回の“お客さん”は誰なのかな?」
彼は診療している時とは少し雰囲気が変わって、いくらか砕けた口調になっている。
「こちらに――」
ローブの女性は腰から下げた革製のポーチから一本の丸めた書簡を取り出すと、彼に手渡した。
「ウィルヘルム・レイゼン……元自警団の団長で今は議会の上院議員か。今回はまた随分と大物だね? 彼が何かマズい事でもしでかしたのかな?」
診察をしている時の落ち着いた表情のまま、ローブの女性に尋ねる。
「依頼主や目的に関してはお話するわけにはいきません……と言いたいところですが、貴方のことです、どうせ詳細を聞かないと受けてくれないのでしょう? 同胞からそういう人物だと伺っています」
フードの中から小さな溜息が漏れる。
「君が聡明な女性で本当に助かるよ。こっちも“お客さん”はできるだけ選んでいきたいからね。相手によっては後々面倒な事になるかもしれないし」
「今でもここで何事も無く町医者を続けていけているのだから、貴方にはその辺りの心配は不要でしょう?」
「んー……こっちもそれなりに苦労してるんだがね? まぁ、信頼されていると思っておく事にするよ。それで、彼は何を?」
彼が尋ねると、ローブの女性はポーチの中から数日前の日付が書かれた新聞を彼に手渡した。
記事に目を落としてページを捲っていくと、ある記事の部分で彼の視線が止まった。
『孤児院が火災で全焼するも職員や孤児達の遺体は見つからず。何者かによる放火が原因と思われるが、盗みの証拠隠滅か?』と少し大きめの見出し付きで書かれている。
「貴方は最近、『協会や修道院で暮らしている孤児達が唐突にどこかに消えてしまっている』という噂を耳にした事はありませんか? 市政の場や新聞には情報がほとんど出ていませんが、複数の施設で孤児達が謎の失踪を遂げていることが我々の調査員の調べで分かりました。その記事にもある通り、事故や事件に偽装するような形で孤児達をさらっているようです。施設の一部職員達も行方が分かっていないのですが、残念ながら、もう生きてはいないでしょう。いくつか集まった情報を元にさらに調査を進めていくと、どうやら奴隷などの違法な労働力として自国の貴族や諸侯、他国にも孤児達を売りさばいているようで、それもかなり組織的な動きをしています。関わっている者は多いようですが、この都市での主要な役割を任されているのが――」
「ウィルヘルム・レイゼン上院議員だ、と」
広げた新聞を持ったまま、彼は静かに目を閉じ、深く息をつく。
「そういうことです。今回の依頼、受けてもらえますか?」
「あぁ、受けるよ。受けると分かっていたからこのタイミングで来たんだろう?」
窓の外に見える曇り空を見ながら彼が言う。
「それでは、依頼達成を確認後に報酬をお渡ししに伺いますので」
彼の問いかけには答えず、ローブの女性は彼の医院を後にする。
「……さて、本格的に降りだす前に準備にかかろうか」
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二日後、深夜――
ぐずついた空模様はついに崩れ、朝から激しい雨が降り続いていた。
市内の石畳の道にもところどころ大きめの水溜まりが出来ている。
雨が降りしきる中、街の中心にある大聖堂へと向かう門の脇の壁に彼は背を預けて寄りかかっている。
普段の診察時のイメージとは異なる真っ黒な外套を羽織り、先日医院を尋ねてきた女性のようにフードを目深に被っている。
「良い天気だな……そろそろ仕掛けるか」
手にした往診バッグから烏を象った仮面を取り出して身に付けると、彼は大聖堂の入口へと歩を進める。
身の丈よりも長い槍を携えた守衛が二人並んで入口の扉を固めている。
「二人、か……」
ゆっくりと入口に近づいてくる存在に気づき、守衛の一人の大柄な男の方が激しい雨音の中で声を上げる。
「おい、止まれ! 一体、何者だ……?」
夜中に唐突に現れた来訪者に二人の守衛が訝しげな視線を注ぐ。
「……ペスト医者、か? 夜が明けるまでは許可の無い者は通れんぞ?」
進路を塞ぐように黒い外套の胸元に槍の柄を押し当てる。
「あぁ、あんたらの上司から診察の依頼があってな。ここを通してもらえると嬉しいんだが?」
マスクの下から少しくぐもった声で答える。
「……診察の依頼など無いはずだぞ? それにこんな真夜中にお前のような怪しいヤツを通すわけにはいかん」
何か問題でも起こったかと、もう一人の守衛も「おい、どうかしたのかー?」と声をかけながら近づいてくる。
「やはり、大人しく通してはくれないか……なら、仕方ない!!」
「うぉッ!?」
言い放つと同時に守衛の視界から、彼の姿が消えた。
次の刹那――
「……ガッ!」
後頭部に激しい衝撃を受け、屈強な守衛の肉体が石畳に崩れ落ちる。
倒れた守衛の後ろに息ひとつ乱さず、黒衣の男が立っている。
外套と同じように黒い手袋を嵌めた手には何かが握られているように見えたが、雨による視界の悪さもあるのか、はっきりとは分からない。
目の前で起こった一瞬の出来事に、駆け寄ろうとしていたもう一人の守衛の表情が凍りつく。
ゆっくりと黒衣の男が彼の方を向いた。烏の仮面に設えられている無機質な黒い瞳と視線が重なる。
「何だアイツ……!? だ、誰か応援を呼ばないとっ!!」
踵を返して駆け出そうとしたもう一人の守衛に黒衣の男が迫る。
「くそぉッ!! 何なんだよ、お前!?」
追いつかれてしまった守衛が半ば自棄になって槍を振るう。
「さあな? まぁ、お前さんにも悪いが少し寝ててもらうよ」
放たれた槍の刃先を黒衣の男の握られたままの右手が弾いた。
金属同士が激しくぶつかり合うような甲高い音を立てて槍の軌道が大きく逸らされる。
「……!? こいつ、どうやって素手で槍を!?」
生じた隙を見逃さず、黒い影は懐へと潜り込み守衛の顎目掛けて掌底を放つ。
守衛の手から槍が落ち、それに続くように彼の体もその場に崩れ落ちた。
「最後までこんな調子にならないと良いんだが……」
意識を失って倒れている守衛達を近くの植え込みに放り込むと、黒衣の男は雨音に紛れるように大聖堂の中へと駆け出して行った。
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屋内に侵入した後も彼の動きは一向に鈍らない。一陣の風のように通り抜けた後にはあちらこちらで守衛や大聖堂の者達が倒れている。
「やっと患者さんにご対面だな」
中庭に面した大きめの一室に黒衣の男が滑りこむ。
部屋の中は数ヶ所に立てられた燭台のゆらゆらと揺らめく淡い炎に照らされていた。
「何者だ貴様!? 一体、何が目的なんだ……?」
突如として現れた黒衣の男に向かって数人の護衛を伴ったウィルヘルムが叫ぶ。
「目的、か。あんた自身が一番分かってるんじゃないか? そして、俺は依頼を受けた」
仮面の内側から落ち着いた様子の声が答える。
声の主が議員達の方へ向かってゆっくりと歩み寄っていく。
「誰の差金かは分からんが、相手は一人だ! ヤツを殺せ!」
「結局、最後までこれか。良いぜ、まとめて看てやるよ」
ウィルヘルムの声を合図に守衛達の刃が一斉に黒衣の男へと迫る。
刃同士が打ち合う激しい音が聴こえるが、襲いかかる刃は黒衣の男には届かない。
流れるような動きで的確に守衛達を地に伏せていく。
一分と経たない内にウィルヘルム以外の者はみな倒れてしまった。
「……馬鹿な!?」
ウィルヘルムは椅子に掛けていた自らの剣を携えると、部屋から逃げ出し中庭に飛び出した。
黒衣の男も影のようにぴったりとその後を追う。
追いつかれたウィルヘルムが黒い影と対立する中、雨がさらに激しさを増す。
「こんな場所で貴様のような得体のしれないヤツにやられるわけにはいかん!! 何者だか知らんが、ここで死ぬのは貴様だ!」
ウィルヘルムが自らの剣を鞘から引き抜き、鞘を乱暴に投げ捨てた。
磨き上げられた刀身に雨粒が当たって弾ける。
「残念だが終わりだ、ウィルヘルム上院議員。部下達の命は助けてやれたが、あんたを治療してやる方法は、これしかない――」
そう言うと、黒い影は右手を自らの目の前へと突き出した。
その手には金属で出来た棒のような物が握られている。
「……そんな棒切れで何をする気だ?」
今度は空いたもう片方の手で懐から小さな薬瓶を取り出すと、その中身を棒を持った右手の方に振りかけた。
「そちらが仕掛けて来ないのなら、こちらから行くぞッ!!」
ウィルヘルムが剣を腰だめに構えて走りだした次の瞬間――
黒衣の男の手の中からバチバチと火花が散るような音が鳴り、周囲に青白い閃光が走った。
強烈な光に目が眩み、議員は反射的に目を閉じる。
その直後、胸の中心に強い衝撃が走った。
「……!?」
光が収まり目を開けると、黒衣の男は彼の目の前に居た。
その手には先ほどまでは無かったナイフが握られていて、彼の胸に深々と突き刺さっている。
開いた口から言葉にならない呻き声と血が溢れてくる。
黒衣の男と仮面越しに目が合ったような気がした。
ナイフがスッと引き抜かれる。傷口から鮮血が吹き出し、ぐらりとよろめく。
「こ、れは……一体……!?」
暗くなっていく視界の中でウィルヘルムは驚愕した。
ナイフには刃が存在していなかった……いや、存在はしているがその刃は驚くべきことに目には見えなかった。
全身から急速に血が失われ、自らが作り出した血溜まりに倒れ伏す。
「あんたに次の往診は無い。今度看る時はあの世だな」
見えない刀身に流れる血を払うと黒衣の男は背を向けて去って行った。
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「それでは、お大事に」
白衣の男性が笑顔で患者を見送る。
部屋の中は病院特有の消毒薬などの薬品の臭いが漂っている。
「おや、今日の患者は彼女で終わりだったはずですが?」
デスクの椅子に腰を掛けたまま、白衣の男が診察室の入口の方へと声をかける。
そこには先ほど診察室を出て行った患者と入れ替わるようにフードを被った修道士のような風貌の女性が立っていた。
「見事な働きでした。ありがとうございます」
「それは今の患者さんの治療の話かな?」
「どちらでも、貴方の好きなように受け取って下さい。それとこれも――」
女性が小さめの旅行鞄をひとつ手渡す。
「この度の治療代、確かに受け取ったよ。具合が悪くなった時はまた来ると良い。できるなら空の具合を見てからね?」
肯定も否定もせず、女性は彼の医院を後にする。
誰も居なくなった診察室の窓際で彼は雲ひとつ無い快晴の空を見上げていた。
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というわけで、今回の週替り企画はこんな話にしてみました。
なんつーか、『必殺仕事人~中世ヨーロッパver.~』みたいっすねw
今回はかなり微妙な出来だと思っていますが、自分の中である目標設定をしていたところもありまして、それに関しては良い練習になったと思っています。
んで、その目標ですが『動きの激しい話を書いてみよう』ってものです。
今までの自分の作品ってキャラがアクション面とかで激しく動くような話はあまり無かったので、今後の事を考えて今回トライしてみた次第。
話としてはイマイチなものになってしまったかもしれないけれど、表現力の開拓にはなったかなー、と思える仕上がりになりました(・ω・ )
305開発部ログ
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こんな話も書けるなんて!
ちゃんとパーツがそろってて話としてまとまってるのが凄く勉強になります。
動きの表現も結構良いと思います。頭の中で戦闘がシーンとして再生されるようにちゃんとなってるんだなぁ。凄い。
この文量でやるにはちょっと難しい話だったかとも思いますが、普通に面白かったです。ナリマサ氏の新しい一面も見せてもらいました。
ひとまず、戦闘シーンが上手いこと脳内再生されてるみたいで良かった。
物語の進行的にはパーツがちゃんと揃ってるように見えるんですけど、不可視の武器が結局どういう物なのかあんまり説明されてなかったりもするんで、その辺がもうちょっと補強できれば良かったかなー、とか反省してたり。
そのせいで「雨」の要素の存在が薄れてる感じもするんだよねぇ……( ´∀`
アサシンクリードを彷彿とさせる話でしたね!!てかイメージにあったんじゃなかろうか。
すげぇ良かったです。こういうのもいけちゃうなんて凄い。
バトル物一本読んで見たいぐらい好きですわ。
暗殺者とか忍者ってカッコいいよね。武器もスマートだし、体術等も駆使して戦うのが素敵♪
チンさんのご指摘通り、アサクリも実際プレイしてたんで多分に影響受けてますよw
今回は試験的な作品創りの意味を込めて書いてみたわけだけど、反応もそんなに悪くないみたいだし、きっちりしたバトルものを一本書いてみるのも良いのかもなぁ。
遅ればせながら読みました…これは面白い!そしてカッコイイ!
ナリマサ先生の新しい側面を見たような気がします、
診療所のシーンから戦闘シーンまで場面転換のテンポがよく
文章量の割にとても読みやすかったですね。
ご本人の課題である動き描写は違和感なく出来ていたかと!
ただ不可視の武器の話がもう少しあると確かによさそうですね、
主人公のキャラをもっと深められるかと思います。
何となくですが主人公の声が井上和彦で再生されました、かっちょいい。